広角にホームランを打つことができるオリックス期待の内野手・太田椋選手。
ホームランを打った際の美しいフォロースルーに魅了された方も多いのではないでしょうか?
今日は、そんな太田椋選手と、父親の元プロ野球選手・太田暁さんについて徹底調査しました。
ぜひ最後までお付き合いください!
いくぞー!
Table of Contents
太田椋のプロフィール
- 名前:太田 椋(おおた りょう)
- 生年月日:2001年2月14日(現在:23歳)
- 出身地:大阪府羽曳野市
- 身長 / 体重:181cm / 84kg
- 職業:プロ野球選手(2018年ドラフト1位指名)
- 経歴:天理高校→オリックス・バファローズ
オリックス・太田椋の父親は、元プロ野球選手の太田暁さん!
太田椋選手の父親は、元プロ野球選手の太田暁(おおた さとる)さんです!
- 名前:太田 暁(おおた さとる)
- 生年月日:1971年1月23日(現在:53歳)
- 出身地:京都府京都市南区
- 身長 / 体重:180cm / 68kg
- 職業:元プロ野球選手・
- 経歴:京都西高校→帝京第五高校→近鉄バファローズ
太田暁さんは、現在オリックスの打撃投手を務めており、チームでは太田椋選手の練習相手も務めています。
現役時代には、近鉄バファローズでプレーをしており、この近鉄は太田椋選手が所属しているオリックス・バファローズの前身となるチームです。
近鉄バファローズは、オリックス・ブルーウェーブとの合併騒動によって、現在は消滅してしまったチームではありますが、
その流れを汲んだチームに父親と息子の2代にわたって所属したというのは本当にすごいことですよね!
それにしても、顔がそっくり過ぎます!!
少したれ目気味の優しい雰囲気を持った目元なんかが特にそっくりで、親子だなあって感じがします!笑
太田暁さんの現役時代
現在は古巣でもあるオリックス・バファローズで打撃投手を務めている太田暁さんですが、
その現役時代はなかなか悔しさの残るものとなっています。
ドラフト会議では投手としての指名でありながら、高い選球眼も持ち合わせており、入団後は内野手に転向することになりました。
しかし、プロの壁は高く、なかなか1軍の舞台でチャンスを掴むことができませんでした。
プロ通算では、3試合の出場に留まり、2打席で1本のヒットも打つことができず、1996年をもって現役引退をすることを発表しました。
結果を残すって簡単じゃないよな…
現役引退後は、チームスタッフとして用具係などを務め、近鉄とオリックスの合併以降は、投手としての経験を活かし、打撃投手としてチームに貢献しています。
太田椋選手が生まれたのは現役引退後
暁さんが現役を引退したのは1996年ですから、2001年に太田椋選手が生まれたときには、現役から退いてから5年ほどが経過していることになります。
なので、太田椋選手は父親の現役時代を見たことがなく、映像でも見たことがないのだとか。
「父がプレーしてるところ、見たことないんです。僕が生まれたときには引退していた。映像も見たことない」
オリックス太田椋、打撃投手の父へ20歳の誓いー日刊スポーツ
父の現役時代を知らない太田椋選手ですが、小学校3年生のときに野球を始めたのは、父の存在がきっかけだったそう。
既に現役を退き、打撃投手としてチームに貢献していた暁さんですが、太田椋選手が中学生のころには、家に帰ってからもボールを投げて、練習に付き合っていました。
打撃投手は、毎日のように物凄い数のボールを投げなければならず、身体への負担が非常に大きい仕事です。
そんな中でも、息子の練習のためにボールを投げてくれるなんて素晴らしすぎますね!!
親子愛だな…
元プロ選手の経験を活かして、熱心な指導を行っていたのかと思いきや、自由にやらせることが指導方針だったそうで
左打ちへの転向がトレンドの時代にも、最初から右打ちだったという理由で無理に矯正せず、自分の考えを大切にさせていたのだとか。
「最初から右で打っていたので、そのままに。基本的には、何でも自由に、今も。常識の範囲内のことは注意しますが、自分の考えを大事にしてほしい。幸い、椋は野球を好きになってくれたので」
オリックス太田椋、打撃投手の父へ20歳の誓いー日刊スポーツ
考えを強制することなく、自分で考えさせる習慣をつけたことが、野球の上達に繋がったのかもしれませんね。
自分で考えることで、より成長できるのかも!
その後、天理高校に入学してメキメキと実力を伸ばしていった太田椋選手は、2018年のドラフト会議で、父の古巣であるオリックス・バファローズから1位指名を受けます!
ドラフト1位指名。それも父のいるオリックスからの指名とは、ちょっと感動的すぎます…
もらい泣きしちゃったぞ!
二人三脚で目指す強打の内野手
見事に親子2代でのプロ入りを果たした太田椋選手。
シーズン中だけでなく、自主トレでも父とともに厳しい練習に励んでいます。
父がプロで叶えることのできなかった夢を、息子である太田椋選手と一緒に叶えていって欲しいですね!
みんな期待してるぞ!
まとめ
- オリックス・太田椋選手の父親は、元プロ野球選手の太田暁さん。
- 太田暁さんは、1988年のドラフト会議でオリックスの前身となる近鉄から6位指名を受け、プロ入りを果たした。
- だが、プロの高い壁に阻まれ、プロ通算3試合出場でヒットを打つことはできなかった。
- 1996年に現役引退をしてからは、用具係や打撃投手としてチームを支える立場になる。
- 暁さんの現役引退後に生まれた太田椋選手は、父の影響で野球を始め、二人三脚でプロを目指すように。
- 2018年のドラフト会議で、父の古巣であるオリックスから1位指名を受け、プロ入りを果たす。
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